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今日は何の日:1961年7月11日「中朝友好協力相互援助条約」の調印

【出来事】

1961年7月11日、中華人民共和国の北京において、中国の周恩来総理と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金日成首相により、「中朝友好協力相互援助条約」が調印された。本条約は、締約国の一方が武力攻撃を受けて戦争状態に陥った際、もう一方の国が直ちに軍事援助を提供する「自動参戦条項(第2条)」を含んでおり、現在に至るまで両国間で継続されている唯一の公式な相互防衛の約束である。


本条約を締結する上で北朝鮮側の最大の動機は、1960年の日米安全保障条約の改定や1961年5月の韓国における軍事クーデターに伴う安全保障上の危機感であった。しかし、北朝鮮の国家根本思想である「主体(チュチェ)思想」が掲げる「自主(他国に依存しない独立路線)」の原則に基づき、金日成は特定の大国に完全に組み込まれることを強く警戒していた。そのため北朝鮮は、訪中直前の同年7月6日にソビエト連邦とも同様の軍事条約(ソ朝条約)を調印。中ソ対立の最中にあった両大国との間で意図的に「等距離外交」を展開し、自国の主権と独裁体制を守るための防壁として双方の力を利用する思惑があった。

一方の中国側には、地続きの隣国である北朝鮮がライバルであるソ連の影響力下に完全に置かれることを阻止したいという強烈な警戒感があった。そのため毛沢東や周恩来らは、ソ朝条約が調印されたわずか数日後に本条約を締結。

本条約は、締約国双方が修正または終了について合意しない限り自動的に更新される仕組みとなっており、1981年、2001年、2021年にそれぞれ20年間の自動更新が行われた。中国政府は対外的に、特定の国と排他的な同盟を組まない「非同盟(不結盟)」の外交方針を標榜しているため、公式に本条約を「軍事同盟」と呼称することは一貫して避けているが、冷戦終結や中ソ対立の終焉を経た現在(2026年)もなお、実質的な共同防衛条項を内包したまま有効に維持されている。

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