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今日は何の日:1984年7月18日、香港政府による代議制導入推進プランの発表
【出来事】 1984年7月18日、イギリス統治下の香港政府は、将来の政治制度改革に関する諮問文書『代議政制緑皮書――代議政制在香港的進一步發展(日本語訳:代議制緑皮書――香港における代議制のさらなる発展)』を発表した。 香港では1950〜70年代にかけて、「民主化を進めれば中国共産党が猛反発し、前倒しで占領される」という懸念から、総督が全権を握る「行政主導」体制が維持されていた。そのため、住民サービスや財政を担う「市政局」や、地域の諮問機関である「区議会」では一部限定的な選挙が導入されていたものの、香港全体の法律や予算を決定する最高立法機関である「立法局」には、住民投票で選ばれた議員が一人も存在しなかった。 主権返還交渉が大詰めを迎える中で発表されたこの『緑皮書』は、この最高機関へ初めて選挙を持ち込む以下の改革を提案した。 立法局の改革: 1985年から全57議席のうち24議席を間接選挙(区議会や市政局などの議員で構成される「選挙団」から12人、業界団体の「職能別」から12人)で選出する。 行政局の改革: 1991年までに、最高諮問機関である行政

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5 日前


今日は何の日:1957年7月17日、毛沢東による「青島会議」の招集
【出来事】 1957年7月17日、中国共産党の最高指導者である毛沢東主席は、山東省青島(チンタオ)において、各省・市・自治区の党委員会書記などを集めた「青島会議」を招集した。同会議は7月21日まで開催され、この席上で毛沢東は、のちに党内および全国に配布されることになる重要文書「一九五七年夏の形勢」を起草・提示した。 この会議に至る前段階として、1950年代半ばの中国共産党は、急進的な社会主義建設(第一次五カ年計画など)を推進する上で、高度な教育を受けた科学者、技術者、学者といった知識人層の自発的な協力と党への参画が不可欠であるという課題に直面していた。知識人を党に引き入れ、その生産性と専門性を引き出すための懐柔策として、1956年から提唱されたのが「百花斉放・百家争鳴(ひゃっかせいほう・ひゃっかそうめい)」運動であった。 党指導部は「たとえ党に対する批判が含まれようとも、多様な意見の表明を歓迎する」として自由な言論を促した。しかし、1957年春に本格化したこの運動において、知識人たちから噴出したのは、単なる建設的な提案にとどまらず、党の特権階級化

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6 日前


今日は何の日:1966年7月16日、毛沢東(72歳)長江を泳ぐ
【出来事】 1966年7月16日、中国共産党の最高指導者である毛沢東主席(当時72歳)は、湖北省武漢において長江を泳ぎ渡った。毛沢東はこの日、武漢で開催されていた「武漢市第11回長江横断水泳大会」に姿を現して入水。当時の中国政府の公式発表によると、現地の川の流れを含めて約1時間5分にわたり30華里(約15キロメートル)を泳ぎ切ったと記録されている。 この長江遊泳の様子は、中国共産党の機関紙『人民日報』をはじめ、中国国内のテレビやラジオなどの国営メディアによって大々的に報じられた。当時の報道では、毛沢東が驚異的な肉体的活力と健康状態を維持していることが強調され、民衆や若者たちの間で同氏を神格化する象徴的なイベントとして機能した。 もともと毛沢東は、生涯を通じて「水泳」という行為に単なるスポーツ以上の政治的・思想的意味を与えていた。毛沢東は1936年の著作『中国革命戦争の戦略問題』において、「指揮官は戦争の大海の中で泳ぐ。(中略)戦争を指導する法則こそが、戦争の水泳術である」と記述。さらにのちの社会主義体制下においては、「水泳を習得するには、まず水に

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7月16日


今日は何の日:2017年7月13日、中国民主化運動の旗手・劉暁波氏、当局の監視下で死去
【出来事】 2017年7月13日、中国の民主化運動指導者でありノーベル平和賞受賞者の劉暁波(リウ・シャオボー)氏が、中国遼寧省瀋陽市の病院において、刑務所収監中に発症した肝臓がんのため当局の監視下で死去した。61歳だった。 劉氏は1989年の天安門事件以降、非暴力での人権擁護を訴え続け計4度拘束された。2008年には一党支配の終結や言論の自由を求める「08憲章」の起草を主導したことで逮捕され、翌年に「国家政権転覆扇動罪」で懲役11年の判決を受けた。その裁判で公表された陳述書『私には敵はいないー私の最後の陳述ー』の中で、劉氏は「私は個人的な境遇を超越し、国家の発展と社会の変化を見据えて、最大の善意を持って政権からの敵意に向き合い、愛で憎しみを溶かしたい」との言葉を残し、非暴力による民主化の精神を貫いた。 服役中の2010年にノーベル平和賞が授与されたが、中国政府はこれに激しく反発。劉氏らの出席を阻んだだけでなく、世界各国へ授賞式をボイコットするよう猛烈な外交圧力を加えた。式典では本人の不在を示す「空席の椅子」が象徴的に置かれた。2017年に末期がん

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7月13日


今日は何の日:2016年7月12日「南シナ海判決」(常設仲裁裁判所が中国の主権を全面否定)
【出来事】 2016年7月12日、オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所(PCA)は、南シナ海における海洋権益を巡りフィリピンが中国を相手取って起こしていた仲裁手続きについて、フィリピン側の主張をほぼ全面的に認める判決を下した。 判決は、中国が南シナ海のほぼ全域に独自に設定している境界線「九段線」内の資源に対する「歴史的権利」について、国連海洋法条約(UNCLOS)上の「法的根拠はない」と結論付けた。また、スプラトリー(南沙)諸島にあるすべての海上地物は「島」ではなく「岩」または「低潮高地」であり、排他的経済水域(EEZ)を設定できないと認定。中国による人工島建設や他国漁船の排除は「フィリピンの主権的権利の侵害」にあたると判示された。 国連海洋法条約の規定上、本判決は加盟国である当事国双方を法的に拘束する義務を持つ。しかし、国際法には判決を強制執行する仕組みがないため、中国政府は「裁判所には管轄権がなく、判決は無効。受け入れないし認めない」との立場を一貫して維持し、南シナ海の軍事拠点化を継続した。 一方、判決直前の2016年6月に就任したフィリピンのド

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7月12日


今日は何の日:1961年7月11日「中朝友好協力相互援助条約」の調印
【出来事】 1961年7月11日、中華人民共和国の北京において、中国の周恩来総理と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金日成首相により、「中朝友好協力相互援助条約」が調印された。本条約は、締約国の一方が武力攻撃を受けて戦争状態に陥った際、もう一方の国が直ちに軍事援助を提供する「自動参戦条項(第2条)」を含んでおり、現在に至るまで両国間で継続されている唯一の公式な相互防衛の約束である。 本条約を締結する上で北朝鮮側の最大の動機は、1960年の日米安全保障条約の改定や1961年5月の韓国における軍事クーデターに伴う安全保障上の危機感であった。しかし、北朝鮮の国家根本思想である「主体(チュチェ)思想」が掲げる「自主(他国に依存しない独立路線)」の原則に基づき、金日成は特定の大国に完全に組み込まれることを強く警戒していた。そのため北朝鮮は、訪中直前の同年7月6日にソビエト連邦とも同様の軍事条約(ソ朝条約)を調印。中ソ対立の最中にあった両大国との間で意図的に「等距離外交」を展開し、自国の主権と独裁体制を守るための防壁として双方の力を利用する思惑があった。..

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7月11日


今日は何の日:2015年7月10日、人権派弁護士らへの全国的一斉弾圧(709事件)の本格化
【出来事】 2015年7月9日未明、北京の法律事務所に所属する女性弁護士・王宇氏とその家族が当局に連行された。これを皮切りに、中国本土では人権派弁護士や法的活動家を対象とした大規模な一斉摘発が開始された。 7月9日から10日にかけて、当局は弁護士らの身柄を秘密裏に次々と拘束。その後、習近平政権は新華社通信や中央テレビ(CCTV)、人民日報などの主要国営メディアを一斉に動かし、「国家の安全を脅かす重大な犯罪集団を壊滅させた」とする大規模なプロパガンダ・キャンペーンを展開した。弾圧の最大の標的となった北京の「鋒鋭法律事務所」を名指しし、「法律事務所の皮を被り、ネット上で世論を煽り社会秩序を乱した黒幕である」と徹底的に糾弾する報道を国を挙げて開始した。 この日を境に数ヶ月の間で、全国の20以上の省において、300人以上の人権派弁護士、法律事務所関係者、法的活動家、およびその家族が、警察当局による連行、拘束、強制失踪、あるいは尋問の対象となった。 拘束された人々の多くは、中国の現行法に基づいて「不当立ち退き」や「宗教・信仰の自由(法輪功やキリスト教徒)」

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7月10日
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中国問題の本質に迫る、独自の論考・調査レポートを発表します。
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