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今日は何の日:1971年7月15日、ニクソン米大統領の訪中電撃発表

【出来事】

1971年7月15日、米国のリチャード・ニクソン大統領はテレビを通じた国民向けの演説において、翌1972年5月までに中華人民共和国を訪問する予定であることを電撃的に発表した。この発表は米中両国で同時に行われ、国際社会に極めて大きな衝撃を与えた。


この電撃発表の背景には、米国の対中政策における根本的なドクトリンの変更と、ニクソン大統領自身の外交思想があった。これ以前の米国政府は、台湾の中華民国政府を「正統な中国」と位置付け、北京の共産党政権を「赤色中国(Red China)」や「共産中国(Communist China)」と呼び、徹底した封じ込め政策をとってきた。しかし、ニクソン氏は大統領就任前の1967年に外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』へ寄稿した論文において、「(アジアの未来において)7億の人口を抱える中国を、潜在的な脅威のまま国際社会から永久に隔離しておくわけにはいかない」と言及。長年、中国の大国としての歴史や文化、地政学的可能性に対して個人的な関心と憧憬を抱いていたニクソン氏は、就任直後から対中接近の機会を模索していた。

当時の米国は、泥沼化するベトナム戦争からの「名誉ある撤退」を求めており、北ベトナムの後ろ盾である中国との関係改善を必要としていた。また、当時の中国共産党政権もまた、中ソ対立の激化によってソ連との軍事衝突の危機に瀕しており、米中両国の「ソ連牽制」という地政学的利害が一致した。これに伴い、米国は公式文書や発言において、北京の政権を国家の正式名称である「中華人民共和国(People's Republic of China)」や「中国本土(Mainland China)」と言い換えるようになり、実質的な国家としての存在を容認する姿勢を示し始めた。

この歴史的な発表の舞台裏では、国家安全保障担当大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャー氏が同年7月9日から11日にかけて極秘裏に北京を訪問し、中国の周恩来首相との間でニクソン氏の訪中に関する合意を取り付けていた。

ニクソン大統領は演説の中で、「中華人民共和国の参加なしに、安定した永続的な平和はあり得ない」と述べ、国交正常化に向けた方針を明確にした。この米国の選択は、それまで米国が主導して国際社会から排除してきた北京の共産党政権を国連へと引き入れる決定的な契機となった。結果として、同年10月の国連総会(アルバニア決議案可決)により、中華人民共和国が「中国」の唯一の代表権を獲得し、台湾の中華民国は国連からの脱退を余儀なくされることとなった。


 
 
 

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