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今日は何の日:1966年7月16日、毛沢東(72歳)長江を泳ぐ

【出来事】

1966年7月16日、中国共産党の最高指導者である毛沢東主席(当時72歳)は、湖北省武漢において長江を泳ぎ渡った。毛沢東はこの日、武漢で開催されていた「武漢市第11回長江横断水泳大会」に姿を現して入水。当時の中国政府の公式発表によると、現地の川の流れを含めて約1時間5分にわたり30華里(約15キロメートル)を泳ぎ切ったと記録されている。


この長江遊泳の様子は、中国共産党の機関紙『人民日報』をはじめ、中国国内のテレビやラジオなどの国営メディアによって大々的に報じられた。当時の報道では、毛沢東が驚異的な肉体的活力と健康状態を維持していることが強調され、民衆や若者たちの間で同氏を神格化する象徴的なイベントとして機能した。

もともと毛沢東は、生涯を通じて「水泳」という行為に単なるスポーツ以上の政治的・思想的意味を与えていた。毛沢東は1936年の著作『中国革命戦争の戦略問題』において、「指揮官は戦争の大海の中で泳ぐ。(中略)戦争を指導する法則こそが、戦争の水泳術である」と記述。さらにのちの社会主義体制下においては、「水泳を習得するには、まず水に入らなければならない。大衆運動の法則を学ぶためにも、思い切ってその第一線に身を投じなければならない」という哲学へと発展させ、大衆運動と水泳を重ね合わせて語るようになった。

毛沢東にとって「水に入り、波に抗って泳ぐこと」は、観念論を排し、自ら過酷な「闘争(大衆運動)の第一線」に身を投じて変革を勝ち取るという、自身の革命哲学そのものの体現であった。

歴史的な文脈において、1966年のこの遊泳は「文化大革命」が本格化する決定的な契機となった。当時、毛沢東は1950年代末から主導した経済政策「大躍進」の歴史的大失敗により、党内での実権を失いつつあった。劉少奇国家主席や鄧小平総書記ら「実権派」が主導権を握るなか、政治的復権を狙う毛沢東は、この遊泳パフォーマンスを通じて「自ら大衆運動の荒波(第一線)に飛び込む」という革命思想の健在ぶりを、国内外に強烈に誇示した。

この遊泳の2日後、北京に戻った毛沢東は、劉少奇らが主導していた政策を「大衆運動の抑圧」であるとして次々と覆した。さらに同年8月上旬に開催された党中央委員会総会(8期11中全会)において、毛沢東は「司令部を砲撃せよ」と題する文章を発表して実権派への批判を全面展開。劉少奇らを事実上の失脚へと追い込み、自身を盲信する学生を中心とした若者たちを「紅衛兵」として本格的に組織・扇動していった。

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