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今日は何の日:1984年7月18日、香港政府による代議制導入推進プランの発表

【出来事】

1984年7月18日、イギリス統治下の香港政府は、将来の政治制度改革に関する諮問文書『代議政制緑皮書――代議政制在香港的進一步發展(日本語訳:代議制緑皮書――香港における代議制のさらなる発展)』を発表した。


香港では1950〜70年代にかけて、「民主化を進めれば中国共産党が猛反発し、前倒しで占領される」という懸念から、総督が全権を握る「行政主導」体制が維持されていた。そのため、住民サービスや財政を担う「市政局」や、地域の諮問機関である「区議会」では一部限定的な選挙が導入されていたものの、香港全体の法律や予算を決定する最高立法機関である「立法局」には、住民投票で選ばれた議員が一人も存在しなかった。

主権返還交渉が大詰めを迎える中で発表されたこの『緑皮書』は、この最高機関へ初めて選挙を持ち込む以下の改革を提案した。

  • 立法局の改革: 1985年から全57議席のうち24議席を間接選挙(区議会や市政局などの議員で構成される「選挙団」から12人、業界団体の「職能別」から12人)で選出する。

  • 行政局の改革: 1991年までに、最高諮問機関である行政局の一部議員を立法局からの推選にする。

しかし、同年10月の行政局会議において、保守的な商界(ビジネス界)の人士から直接選挙の導入に対する強い反対意見が噴出。この反発を受け、同年11月21日に発表された『代議政制白皮書』では、「直接選挙の実施検討は1988年まで先送りする」と方針が後退することとなった。

その後、段階的に選挙枠が導入され、1991年9月12日に実施された立法局選挙において、初めて18議席の「直接選挙枠」が設けられた。結果は民主派が18議席中16議席を獲得して大勝したものの、中国共産党への妥協姿勢で知られた当時の総督(デビット・ウィルソン)が民主派の議会多数派形成を阻むため、18名に及ぶ商界の反民主派人士を議員に委任。彼らが香港政界における親中共の「建制派」の源流となった。

この1991年の選挙を機に、香港の議会政治における「建制派」と「民主派」の二元対立の構図が形成され、返還後も政治の根幹として機能し続けたが、2020年11月に民主派議員による「立法会総辞職」が引き起こされたことで、約30年続いた二元対立体制は完全に終焉を迎えることとなった。


(カバー写真:Ion Tichy, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons)

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